論点を枝分かれさせるということ
ビジネスの世界では、複雑な問題に直面することが日常茶飯事です。
課題が山積みになり、「どこから手をつければいいのか?」と立ち尽くす瞬間は、誰しも経験があるはずです。
そんなときに威力を発揮するのが「ロジックツリー(Logic Tree)」です。
問題を分解し、枝分かれの構造で整理することで、論点がクリアになる。
ビジネスマンのみなさま方におかれましては、実に強力な武器となるのであります。
けれども、ロジックツリー最大の欠点、それはこんな説明では退屈きわまりないということ。
「問題を分解して整理しましょう」なんて言われても、退屈すぎて頭に残らないのです。
そこで登場していただくのが――おっぱいです。
おっぱいを使ってロジックツリーを語ると、俄然わかりやすくなるのです。
ロジックツリー改め Oppai Tree
ロジックツリーとは「大きな論点を、もれなく・ダブりなく、小さな要素に分解していく思考法」。
「もれなく・ダブりなく」は、紳士淑女のみなさまはもう大丈夫ですよね?
ご不安な方はまず「MECEとおっぱい」をお読みください。
さて、では早速Oppai Treeを作ってみましょう。
まずはおっぱいを構造的に捉え、大きく3つの観点で枝分けしていきます。
- サイズ
- 形
- 機能
これが第一階層。
すべてのおっぱいは、サイズ、形、機能で表されるのであります。
(実際はピーチクの形や色によっても定義されるわけですが、ここではいったん横におきましょう)
ここからさらに、それぞれを細かく分解していくのがロジックツリーの本領発揮です。
- サイズ
- 貧乳
- 普通乳
- 巨乳
- 形
- お椀型
- ロケット型
- さがり型
- 機能
- 母乳を出す
- 魅せる
- 支える(精神的な意味で)
こうして分解していくと、「おっぱい」という曖昧な全体像が、サイズ・形・機能という構造で整理され、さらにその下位要素まで一望できるようになります。
つまり、ロジックツリーとは「漠然とした塊を、階層構造でクリアに可視化する思考法」。
曖昧なものを構造的に理解させてくれる。
これこそロジックツリー、いや Oppai Tree の醍醐味なのであります。
ビジネスへの応用
Oppai Tree的な分解は、ビジネスシーンでも強力なツールになります。
- 市場分析
市場を「顧客層」「チャネル」「競合」に枝分けする。
Oppai Treeで「サイズ」「形」「機能」に分けたように、市場の構造を分解していく。
単に「市場を分析する」と言われるよりも、「顧客層を分析する」の方がググっと解像度が高まるのであります。 - 課題整理
売上を「顧客」「購買数」「単価」に分ける。
これはおっぱいを「貧乳・普通乳・巨乳」に切り分けたのと同じ構造的な美しさです。
売上不振の要因を分析しろ、なんて言われたときには、まず売上の構造をロジックツリーで解きほぐしてあげると、ググッと仕事がしやすくなるわけです。 - 戦略立案
新規事業を考える上では、たとえば「技術」「顧客」「ビジネスモデル」で分解して考えてみる。
Oppai Treeで「お椀型」「ロケット型」「さがり型」と切るように、全体像を見渡せる。
新規事業に使える「技術」はなにか、既存の「顧客」が求めるニーズはなにか、自社に不足する「ビジネスモデル」はなにか、なんてことを考えていくと、漠然と考えるよりもググッと思考がクリアになるのです。
要するに、Oppai Treeは「曖昧な塊を、美しい構造に変換する魔法の杖」なのです。
誤解しやすいポイント
ロジックツリーでよくある誤解は、「完璧に分解しなくてはいけない」と思い込むこと。
でも大事なのは全体のバランスです。
おっぱいに例えれば、左右が多少アンバランスでもその人のOppai Treeとしては成立している。
美しさは、ディテールの揃い具合ではなく、全体の調和に宿る。
乳首の位置が1ミリ違ったところで、そのOppai Treeは崩れないのです。
一方で、重要な要素を落としてしまうこともまた、ロジックツリーでは禁じ手であります。
おっぱいに例えれば、乳房はあれど乳首がない。それじゃあおっぱいではない。
重要な要素という太い枝はしっかり抑えながら、細かい枝葉は気にしすぎず本質的な構造を解き明かす。
おっぱいは完璧でなくても良い、おっぱいという存在をしっかりと認識して愛せるかどうか、それこそが重要なのです。
まとめ
- ロジックツリー=論点を分解し、構造として整理する思考法
- Oppai Tree=サイズ・形・機能でおっぱいを分解すると全体像がクリアになる
- ビジネスでは市場分析・課題整理・戦略立案に応用可能
- 完璧さよりも「全体の美」を捉えるのが重要
結局のところ、ロジックツリーの本質は「構造の美学」。
Oppai Treeもまた、その象徴にほかならない。
そう断言しても、私はまったく恥じないのです。
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